大波止の鉄砲ン玉
『長崎の七不思議』のひとつ、『大波止に玉はあれども大砲なし』が、消えてしまいそう。。オイラの日記のブログが消えてしまったように・・・(^^;;;
オイラが生まれた頃から、すでに存在していた『大波止の鉄砲ン玉(てっぽんたま)』 可哀想に、この『大波止の鉄砲ン玉』は、子供の頃にあった海岸べたの海へ続く石階段の下り口あたりにあった場所から、3度も移動させられている。
現在は、夢彩都の横のパチンコ屋さんに隣接する、元船町自治会館の一角に設置されております。

現在、呼び方まで変えられてしまっているようである・・・なんと、その名称は『大波止の鉄玉』 ですと??『鉄玉』、ただの鉄の玉ですよ!悲しい!
長崎くんちの時、元船町の唐人祭りの先頭に出てくる傘鉾にのってるのは、『鉄砲ン玉』なんですよ。決して、『鉄玉』なんかじゃありません。
住民の意見も意志も無視?? どの機関で勝手に設定されてしまたのだろう??不思議でたまらなかった。。なんだか、すでに公的機関では、『大波止の鉄玉』 として表示してるみたい。。
オイラ、断固として『大波止の鉄玉』表記には反対です。
オイラ、頑固なんだろうか??
何が何でも、『大波止の鉄砲ン玉』なのだ!!!
<<参考資料>>:台座に埋め込まれている説明版より 「島原の乱で一揆が立てこもった原城を攻略するため、寛永15年(1638)正月、長崎で鋳造された石火矢玉と言い伝えられるが、正確な記録はなく、砲身もまた実物・記録ともにない。実用に供されることなく、以後350年間大波止に置かれ“鉄砲ン玉”と親しまれた長崎港の名物である。直径56cm、重量 560kg 。 長崎七不思議の一つに“玉あれども大砲なし”という。地元の元船町がくんちに出す傘鉾の飾り物に、このひな型を用いている。」
※ 元船町の傘鉾飾りは、平成7年度より竜宮門を模した傘鉾飾りに替わりましたが、現在、新しく作り替え元の鉄砲ン玉を模した傘鉾になっております。
■『大波止の鉄砲ン玉』の場所:
より大きな地図で 大波止の鉄砲ン玉 を表示
以上、2007年9月5日に書き込んだ記事ですが、『鉄球説』の原因がわかりました。 長崎歴史文化協会の機関誌『長崎の空301号』によると、平成19年5月1日に長崎市の指定有形文化財として加えられる際、学術的に調査された方の異見が取り入れられたようです。
なぜ?異見??あえて、異見としたのは、本来の意見とはオイラ、思えないからである、『鉄砲ン玉』を『鉄玉』と、言うがごとく(^^ゞ
ただ、江戸時代によばれていたかもしれない『鉄玉』を、なぜ??いま?? 現在、『大波止の鉄砲ン玉』と親しまれているものを、『鉄玉』として表現しなければいけないのか??大疑問??のオイラであった。。愛着を持てる名称!!観光にも一役できる名称!!地元の人たちの意見を入れた名称!にしてほしかったものである。。
●関連ページ
・【みろくや】さんの、『ちゃんぽんコラム(大波止の鉄砲ん玉)』
初稿:2007年09月05日
修正:2007年09月20日
再稿:2009年06月20日
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